住宅専門紙「新建ハウジング」の発行人(社長)が、
住宅ビジネスのヒント・トピックをつづります。


2008年12月14日

雑感、いろんなニーズがある

更新が滞りがちです。近況や最近の気づきでも書いてみます。


某日。連載者の方と久し振りに。

また1枚、柄を上げられたな、という印象。自らを生かせる領域を広げられるとのこと。その方向性には納得しました。

一言で言えば、住まい手とつくり手の間に立つということ。ここを追求していけば、唯一無比のポジションを築くことができるように感じましたし、ここにニーズがあると思います。



某日。以前新建ハウジングで取材させていただいた方が来社。工務店でありながら地元に加えて全国で仕事するという珍しいモデルを実践、成果をあげられている方です。

このモデルの前提として、家づくりのあるべき姿を常に考え、発信するということを徹底されています。

それはすごく本質的な話だけに、表面的な家づくりの知識だけでちゃらっと家づくりをされようとしている家族には響かない。でも、それに共鳴し、またこの人しかいないとなった家族が全国単位で見るときちんと存在していて、そんな人から家づくりを依頼されている。正確に言えば、暮らしのアドバイスを依頼されている(施工は地元の工務店が施主と直接契約で担当)。

究極のニッチだけれど、こんなニーズもあるし、やっていける。個人的にはすごく腑に落ちました。


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某日。22時半から、自宅から歩いていける天然温泉施設へ。久し振りに行ったのですが、けっこうな混雑。

近くに某大手コンピュータ会社やメディア会社があって、その若手社員さんが、軽く一杯+風呂を求めて、仲間同士、帰宅前に立ち寄られている様子。いろんなニーズがあるものです。

僕はサケも飲まず、露天風呂で熟考です。僕は悩むことはほとんどないのですが、年中考えています。アイディアや選択肢を思いつく限り考えてみて、それを消していく。残ったものを、いまやるべきか問う。いまやっていることで捨てられるものはないか問う。

今年は売上的には伸ばすことができましたが、その弊害も出ました。さて来年はどうするか。一気に捨てて新しいことにチャレンジする年のような気がしてきました。どのニーズにフォーカスするか。もう少し考えたいと思います。
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2008年09月20日

事故米雑感〜「顔の見える」「信頼できる人でつくる」工務店の家づくりが評価されるとき

汚染米が大きな問題になっています。考えるべきことはたくさんあるのですが、安全ということを製品の供給側も消費者も考えさせられるきっかけになったように思いますし、きっかけにしなければと思います。

個人的には焼酎飲みということもあって、焼酎の問題に関心を持ちました。焼酎は基本はリーズナブルなお酒ですが、よく考えれば通常の米を普通に使ってあの価格に抑えるには大変な努力が必要なはずです。少しでも安い米を探すことは、企業経営からすると当然でしょう。このあたりに今回の問題の本質のひとつがあると思っています。

本当に安全でしかもいいもの(たとえば旨いもの)を提供しようと思えば、原料の吟味が必要ですし、その結果コストが上がらざるをえない。消費者も、本当に安全でいいものを手に入れたいなら、自分で調べたり吟味する努力をし、相応のコストも負担しなければいけない。

安くていいものはあるでしょうし、それを提供する努力は続けるべきですが、安さに潜むリスクにもっと敏感になるべきでしょうし、今後は、一時の「喉元過ぎるまで」かもしれませんが、敏感になる人・企業が増えるでしょう。


ひるがえって住宅産業も、もう一度原料の再点検、安さに潜むリスクがないか確認すべきでしょうし、安全に敏感になった消費者が増え、情報開示要求が増えるだろうことに備える必要があるでしょう。さらに言えば、積極的に情報を開示していくことです。

その意味でも、「顔が見える」なかで調達した材料を、顔が見える職人がつくっていく家づくりの意義・価値は高いと言えます。

供給側の顔が見えるということは、供給側から言えば顔が見られるということで、また最終消費者=住み手の顔が見えるということで、供給側にもより高い責任感が生まれます。へたなものは出せないぞ、つくれないぞ、ということです。汚染米は、重層的な流通経路の中で顔を消し、誰もが責任を取らない仕組みとしていました。もちろん家づくりの場合は、コストの問題がより大きいので、すべてに顔が見える材料を使うことは難しいでしょうが、吟味した既製品と顔が見えるなかで調達した材料を組み合わせるということで、そこの組み合わせ方が強みになると思います。

一方、住み手も供給側の顔を見れば、そしてその努力を見れば、「安全でいいもの」にマンパワーとコストがかかることを、より理解できるはずです。そして、そのために努力している「人」への信頼を高めるはずです。一度そこの「信頼」が得られれば、消費者自身がさらに深く疑心暗鬼になってあれこれ調べる必要はないでしょう。

この「供給者の顔が見える」「信頼できる人でつくる」のが工務店の家づくりであり、ものの安全・ものづくりへの信頼が揺らいでいるいまこそ評価されるときだと考えています。
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2008年08月16日

地域の文化を取り戻すということ

新建ハウジングの8月10日号にこんな文章を書きました。ブログで読むには少し大袈裟な文章ですが、最近つらつらこんなことを考えています。

近年グローバリズムの加速とその弊害がさかんに説かれる。だが、グローバリズムを文明と読み替えれば、常に文明は世界を侵食してきたし、地域固有の文化を破壊してきた。

文明の定義は簡単ではないが、他の文化圏に伝達できるほど普遍性のあるものだと考えることができ、それを「帝国」の概念と重ねて論じる識者もいる。文明を「宗教」と重ねる考え方もあり、ハンティントンは「文明の衝突」の中で宗教文明間の対立を予期し、いまそれは現実のものとなっている。

一方、文化は土と歴史が培ってきたその土地固有のものだと考えることができ、影響はし合うものの伝達は難しい。


それゆえに常に文化は文明に侵食されてきた。これは家づくりの世界でも同じで、普遍的な利便性やライフスタイルを説く文明的な家づくりが帝国主義的とも呼べる大手企業から発信され、地域固有の文化である地域の家づくりを侵食してきた。


文明的なものは否定しようもないし、日本は伝統文化というおもりをある意味切り離すことで近代へと浮上できた。これは事実だろう。

だがおもりがなくなったことで広大な文明の海、グローバリゼーションのなかに漂うことに不安を感じる人が増えてきたことも、また事実ではないか。

もう一度心におもりを取り戻し、真の安心、豊かさを追求すべきときに来ている。地域文化の活性化とその担い手となる地域コミュニティーの再構築はその一手段だ。地域ならではの家づくりはその始まりであり、それを担う工務店の役割は大きい。


地域の文化、コミュニティーは重く「うざい」部分がある反面、そこへの帰属意識は人に安心を、少なくとも踏みしめる大地がある安心、最後はそこに帰っていけるという安心をもたらすように思います。広い海には無限の可能性はありますが、茫洋として地平線も見えないうえ、板1枚の下には地獄がまっている。

家はそもそも帰属する安心を感じれる場所だと思いますし、地域コミュニティーも、そして文化も家がベースになります。だとしたら工務店が関われることはいくつもあるはず。それが本来の姿であると思っています。
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2008年08月15日

これでいいのだ、ということ

お盆ですがバタバタしています。どんな定期媒体の編集者も同じだと思いますが、世間が休みのときに原稿を用意し、休み明けから出稿しなければなりませんので、休みは取りにくい。

昔はそのことを理不尽に思っていましたし、割に合わないと恨み節をまき散らしてもいました。でも、最近は達観というか、そんなものだと思っています。時間や給料が割に合わないと考える人は編集者として長続きしないと思いますし、実際そう考える人は結局辞めていきます。

どんな仕事でもそうでしょうが、恨み節を吐きながら陰々滅滅と仕事をしていると、瞬間のエネルギーは高まるかもしれませんが、精神や体を蝕んでいきますし、負のオーラは周りに壁をつくります。経験上そうです。

最近はっとした言葉があります。ネットでも「手に持っていた紙は白紙ではないか」などと話題になっていましたが、漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀・告別式でタモリさんが読んだ弔辞のなかの一説です。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と
出所:SANSPO.COM


弔辞自体胸に迫るものがありましたが、この部分は思わず何度も読み返しました。陰にこもるのではなく、また逃げるのではなく、肯定し、受け入れることで、解放される。実感としてとてもよくわかる言葉で、ラクをして生きようということではなく、自分の選んだ生き方だからそれでいいじゃないかという心持ちでいるために、ビジネスパーソンにもこの「これでいいのだ」精神が必要かなと思いました。
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2008年08月04日

企業人に求められるものー真摯さ

企業人に求められるものは何だと思いますか。そう白髪の老紳士に静かに尋ねられたとしたら、僕は「いくつかありますが、まずは真摯さだと思います」と答えるつもりです。

老紳士が目のなかに強い光を宿しながら、「あなたはそれを持っていますか」とさらに問いかけてきたら、すこしタジタジとなりながらも、「持ちたいと思っていますし、そんな人を評価したいと思っています」と答えます。


真摯さというとあいまいで、辞書で引くと「まじめでひたむきなこと。事を一心に行うさま」と身も蓋もない意味が出てきますが、僕は顧客に、社会に向き合い、自分ができる以上の貢献をしようと考え実践することだと考えています。

滅私奉公とは違いますし、単なる生真面目さとも違います。まず逃げずに向き合うということだと思いますし、奉仕ではなくいかに貢献するかを、常に少しでもストレッチしながら考え、実践していくことだと思います。


真摯さが報われるとは限りませんし、真摯さだけがビジネス成功のカギだとは思っていませんが、「誰かが見ている」ということは、確実にある。「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がありますが、天とか神が必ず悪人に罰を下すというよりも、リアルに見ている、評価している人が確実にいる、ということだと考えています。

真摯に取り組んでいる人を見ている、評価している人は必ずいる。逆に要領はいいけどナメた仕事をしていても、きちんと誰かに見られている。本人はうまく立ち回りポイントを押さえているつもりでも、うわべの信頼しかされない。そんなように思います。


スタッフの真摯さと貢献の姿勢をパワーとしてまとめ、モノやサービスに落とし込み、顧客に、社会に提供できる仕組みをつくること。これが経営者の仕事だと思いますし、その姿勢を率先して見せていくことが必要でしょう。そういう僕も気持ちはもっていますが、実践はまだまだだと思います。


平成19年度の住宅市場動向調査(国土交通省)の結果が発表されていますが、その住宅を選んだ理由のトップは「信頼できる住宅会社だったから」でした。信頼を得ることは容易ではありませんが、まず真摯さからだろう、と考えています。
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2008年07月23日

雑感、編集者の明日〜一刀両断するということ〜

一刀両断の魅力、というものがあります。なんでもズバッと独自の視点で切ってくれる。自分にはないそんな魅力に人はカリスマ性を感じ、もっと話を聞きたいという気持ちが生れます。

僕もそんな人たちに魅力を感じる一人ですが、一刀両断とはつまりは否定であり、「あれはダメ」「あの人はわかっていない」といった否定形の批評が基本となります。

それが気持よく、また一刀両断する人の勇気をすごいなと感じるわけですが、否定というのは簡単といえば簡単です。また人を否定しておいてから自分の話に、フィールドに、ビジネスに引き込んでいくというのも、簡単といえば簡単な方法です。ですが、否定は往々にしてセクトを産みますし(あいつとは一緒にやれない、とか)、感情にしこりを残すこともあって、なんだな、と思います。


そういう僕も昔は一刀両断タイプでいろんなものを否定して得意がっていました。ですが、そんなときに出会ったある人の一言で考え方ががらっと変わりました。

「あなた、否定は簡単ですよ。編集者としてはそれではダメ。編集者として大きくなりたいなら、人のいいところを引き出す人になりなさい」

こう言われてから、人のいいところを探し、それを引き出す努力をするようになりました。まだまだですが、それがいまのポジションで生きているな、とは感じます。


一刀両断で鋭く批評をする人は必要です。でも今の僕のポジションは違うということで、「編集者の明日」についてもよく考えるのですが、このあたりにヒントがありそうだと思っています。

僕の場合は、業界にまだまだいる「人物」を発掘して、その人のいいところを引き出してメディアに載せて広めることで、この業界をもっとよくしていく。セクト主義ではなく、「人物」たちのゆるやかな連携・共創を間接的にでもうながして、力を掛け算していく。それがいま目指しているポジション・役割です(ビジョンを示すビジョナリー、風見鶏の役割も担えればと思っていますが)。

次のポジションとして目指しているのは、工務店とのその家づくり・暮らしを消費者に伝えていくスピーカーのポジション・役割です。ここはこれからですが、今後チャレンジしていきたいと考えています。
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2008年07月20日

スープと設計

ミキサーをつかった冷たいスープをつくってもらいました。レシピ本を見るといったこともなしにぱっとつくったものでしたが、塩梅が良くて、おかわりをしておいしく飲みました。

手軽につくってもおいしいスープですが、本来は贅沢なものだと思います。お皿に注がれたたった2センチにどれだけの材料と時間と経験が注ぎ込まれているか。よく考えてみると、その贅沢さに、背筋をきちんと伸ばし、あまさずいただかなくては、と思います。


設計という行為にもスープのようなイメージをもっています。本来は、設計者独自の材料(スタイルや引き出し)、たくさんの時間・経験を注ぎ込んでことこと煮詰めて出す、しかも一顧客に合わせて塩梅してくれるものなのでしょう。ぱっと見は同じような見た目、味でも、インスタント的なものとは深みが違うはずです。

設計によって実現される建物や暮らしだけでなく、その贅沢さに対価を払うということだと思いますし、その贅沢さが理解できない人は、注文住宅を選ばないほうがいいように思います。
posted by miura at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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