「和」とは何か、というのは深い議論で、とてもブログで書ききれるものではありません。
ただ、日本の文化は、もともと自国固有の「何か」を頑なに守り通す、一つの色に染め抜くというタイプではなく、文字通り「和」=外から来たものをいいとこどりして柔軟に取り入れ「共生」するタイプだということは言えるのかな、と思います。
古くは、採集・狩猟を基本とする縄文文化と稲作農耕をベースとする弥生文化の共生。
宗教にしても、万物に神を見るアニミズムが根付いていたにも関わらず、仏教のいいところを導入、後年にはキリスト教のいいところ(儀式とか)だけを取り入れて、(自分たちとしては)違和感なく共生させる。
天皇と幕府という権力(と象徴)の共生もその一例でしょうし、明治以降の西洋文明の取り入れ方もそうだと思います。
「共生」という言葉は建築の世界でも一時流行りましたが、「共生」はトレンドではなく、日本に根付いた「何か」(価値観なもの)だと思います。そしてそれが根付いた背景には、森を中心とする豊かな自然がある(自然環境が厳しい地域、アニミズムではなく一神教の地域では「共生」の価値観は根付きにくいと思います)。
共生の対語的な言葉として「競争」がありますが、こちら側の価値観は、そのままでは日本には馴染まない。いま、アメリカから持ち込まれた競争を是とする価値観からの揺り戻しが起きている中で「和」が再評価されているように見えますし、さらにその中でさらなる「和洋折衷」が生まれるのでしょう。
その点では洋のいいとこどりをする「和洋折衷」こそ「和」そのものだと言えますし、デザインの世界で言われる「和モダン」も和の進行形であり邪道とは言えないと思います。
住宅デザインでも、伝統的な「和」に縛られない無国籍とも言える「和」(和モダン?)が支持されていますが、こうした文脈で見てみると理解できるように思います。
また、こうした共生の姿勢・価値観は、グローバル化が進む現代こそ有効だと思います。世界に発信できるものだと思いますし、よく言われるグローバルとローカルの共生=「グローカル」も日本ならではの共生の在り方としてさらに進めることができるはずです。