住宅専門紙「新建ハウジング」の発行人(社長)が、
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2009年08月02日

昭和初期にも悪質業者がいた[荻窪風土記・井伏鱒二]

「山椒魚」などで知られる井伏鱒二の「荻窪風土記」を読んでいたら、井伏の初めての家普請の話が出てきました。

昭和2年、まだ駆け出しだった井伏は荻窪(東京都杉並区)に土地を借り、兄から普請費用を調達して家づくりを始めます。

ただ、家づくりのことを何も知らない井伏は、作家の集まりで顔見知りになった「東堂君」に家づくりについて教えてもらいます。東堂君の説明によれば、当時の家づくりの相場とお金の払い方は、こんな感じだそうです。

借家普請なら坪45円から50円の間で建てられる。この場合、材料はアメリカ材である。坪70円なら総檜とは言えないまでも、すべて日本産の材木で、天井は柾、屋根は三州瓦にして門もつけ、生け垣もカナメかツゲの木にしてくれる。

建築費は全体の三分の一を、水盛り遣形のときに請負師に払う。それから瓦を載せて、粗壁を塗り土間を張って三分の一、建築が出来あがって三分の一というのが、この辺りの建築業者間の通例になっている。
この頃から坪単価でグレードが明確化されていたというのが面白いです。個人的には現在の坪単価はわかりにくいと思っていますが、この頃のこの辺りでは細かな間取りや仕様の違いで坪単価が変わることはなかったようで、それはそれでわかりやすかったのかもしれません。

ちなみにこの頃と現在の人件費の差は約5000倍だそうなので、単純計算すると、坪45円=22万8000円、坪75円=37万5000円。どうでしょうか。


井伏は、自分で簡単な図面をひき、東堂君の親爺さんが紹介してくれるという工に仕事を頼むことにします。

その引き合わせのときの様子もおかしくて、東堂君の親爺は井伏に盛んに酒をすすめながら、「今後はこの大工のことを棟梁と呼ぶように」と言い箔をつけます。その「棟梁」も酒をぐいぐいと飲み、ただお金の話のときだけ盃を返して「先生のお宅なら坪75円で請け負わせてほしい」と言います。駆け出しなのに先生と呼ばれ酒にも酔った井伏は、坪75円で建築を依頼し、建築費と図面を東堂君の親爺さんに渡して帰ります。

その後わたりの大工2人が来て作業小屋をつくり、そこに寝泊まりしながら作業を行うようになります。しかし建前が済んだあと、現場を見に行かない日が続いたとき、「棟梁」が道具をひとまとめにして撤収、その後現場に顔を見せなくなるのです。

その後大工に「棟梁」や東堂君の親爺さんのところに工事を続けるよう言いに行かせたりしますが、東堂君の親爺さんからはけんもほろろに追い返され、「棟梁」はつかまらず、知り合いの鳶に話を聞いたら、その「棟梁」はその辺りでは有名なばくち打ちのとんずら大工だとわかりって愕然とします。東堂君の親爺さんはそれを知って「請負師」として間に入り、井伏をまんまと「はめた」わけです。

改めて基礎や柱をみると、坪45円の借家普請レベル。自分の愚かさを呪いながら井伏は、高利貸しから金を借り、大工に直接手間を払って家を完成させます。結果、廊下はみしみしと鳴り、座って膝を強くゆするとドロンドロンと音がなるような、すさまじい欠陥住宅となりました。


今はどうかといえば、真摯に家づくりをするつくり手がいる一方で、この話とそうレベルが変わらない悪質業者もいまだにいます(最近もありましたね)。消費者保護のため法律は厳しくなるばかりですが、そうせずになんとかならないものかと、いつも思います。
posted by miura at 10:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 読んだ本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして
これからも拝見させて頂きますね。
楽しみにしています。
Posted by スタービーチ at 2010年03月28日 10:48
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